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2011年01月 アーカイブ

千葉の土地

戦後の新鋭工場は、次々と京葉の臨海工業地帯に立地を始めました。


そういう状況に支えられて、千葉県の埋立地は、昭和30年代から40年前半までは良い値段で売れたのです。


当時、千葉県は田舎の県でした。


知的労働者が多く集まっていたわけではありません。


若手の未熟練労働力がブルーカラーとなって、湾岸に立地した工場やそれに派生する下請け企業で働くようになりました。


このために千葉県の労働力の需給関係はバランスがとれ、失業問題も深刻にならありませんでした。


昭和30年代は千葉県が一生懸命に埋立地をつくって工場を誘致した時代でした。


そのきっかけとなったのは川崎製鉄です。


川崎製鉄の場所はもともと陸軍の飛行場用地でした。


日本が負けて、昭和24年頃に全国の軍用地の払い下げが行われたことがあります。


当時は何の役にも立たない軍用地と考えられていたので誰も買いにいかなかったのです。


それを当時の川崎製鉄の西山社長が手に入れて製鉄所をつくりました。


それが見事に成功し、それ以来日本の大企業が千葉の埋立地にくるようになりました。

千葉の土地 2

地方自治体の埋立事業は企業の経営と似ています。


資金を金融機関から借りて埋め立てをし、その造成地を売却して資金を回収し、回収したお金で次の埋め立てをする方式をとります。


つまりお客さんがこないとうまく資金が回転しないのです。


そして昭和50年前後にオイルショックが発生しました。


オイルショックの後に土地の値段が全国的に下がったのです。


・・・ということは土地の需要がなくなったわけです。


今から考えると不思議に思えますが、東京にどんどん人口は集中しているのにもかかわらず、千葉では埋立地が売れなくなりました。


内陸部のニュータウンの住宅地も売れなくなりました。


当時、今から考えれば誰もが飛びつくような住宅団地、つまり都心から電車に乗って40分くらいの郊外で住宅地をつくっていたいくつもの建設会社が、不況に追い込まれるという状況も出てきました。


その一つの例で有名なのは、ある長期信用銀行系列の建設会社でした。


その建設会社は当時あまりいい住宅をつくっていなくて、庶民型住宅をつくっていました。

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