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2010年12月 アーカイブ

業務核都市構想とは

業務核都市構想に位置付けられた横浜市のオフィス移転用地・・・


ここは、港湾の埋め立て、旧港の用途転換、造船所用地の活用という3つの社会的経済的動向が結びついて、MM21計画のなかに生れてくることになりました。


同時に東京港も、竹芝桟橋のあたりを埋め立てて、より高度なオフィス用地にした方が良いという動きが出てきました。


大宮・浦和では、大宮の操車場が、国鉄の解体によってオフィス移転用地になる可能性が生じてきました。


立川・八王子では、20年くらい前に立川飛行場がアメリカ軍から返還され、自由に使える国有地として生れ変わっています。


ここにはすでに自衛隊用の飛行場や国の防災基地が設けられていますが、その他に都市的土地利用に使える土地が捻出されました。


その国有地をどのように処分したらいいかということになりました。


すなわちいろいろなちがう動きが、ほぼここ15年から20年くらいの時期に連続して発生してきたのです。


一般的な社会の理解としては、最近の地価高騰のために、土地の造成価格が安い東京湾のウォーターフロントに新しい都市づくりの動きが広がったと思われています。


しかし、実際にはそうではありません。

業務核都市構想とは 2

地価高騰の現象と、まとまった大規模な土地がいろいろな社会情勢の変化によって、業務核都市に生れるという状況が同時に発生したと理解したほうが、正しい見方でしょう。


それがMM21と大宮と立川の話です。


このように新しい都市計画を大規模な空地に展開しなければならない社会的環境が成熟してきて、国も地方自治体も具体的な事業をそこにおこさなければならなくなってきました。


それでようやく業務核都市構想が動き出したのです。


・・・一方、千葉は大宮や横浜そして東京と事情が異なり、面白い面をもっています。


千葉県は戦後に埋め立てを猛烈に進めた県です。


千葉県の湾岸は浦安から木更津まで、昔は海水浴や潮干がりができる遠浅な地形でした。


したがって埋め立ては大変容易で、埋立費用も安かったのです。


企業側からみて、日本の経済が急速に発展してきた昭和30年代の半ば頃から、東京都は製品の最大の消費地になってきました。


そこに近いところで油をつくったり、鉄をつくったり、あるいは化学製品をつくれば、輸送コストが安いし、質のいい労働力を確保するのも容易でした。


しかし、京浜の臨海工業地帯には戦前からすでに、財閥が工場を立地させていました。


あいている埋立可能地は千葉にあったのです。

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